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オンディーヌの部屋

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04.26.19:28

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  • 04/26/19:28

07.06.16:14

批評-井上瑞貴氏のブログから 1

『あるるかん』24、「猫」「壁の音」について井上瑞貴氏が御高評下さった。
http://freezing.blog62.fc2.com/blog-entry-596.html

井上氏は怖い人である。
作品だけで、作品ではなく作者の私を完璧に脱がせていく。
震え上がった。

>猫をひきよせているのは、だから「なにかとてもいいもの」といったものをわたし自身のなかから探しだそうとして
>届かないものは、彼方にあるのではなくわたし自身のなかにある。
>「なにかとてもいいもの」は、わたし自身の「反射」にすぎない。そこには、はたして「なにかとてもいいもの」があるのだろうか。届きえない限り、手に入らない限りそれは真である。あるいは彼女はそのことを知っていて、わざと手に入れないのであり、そのとき接近とは、手に入れてしまう恐怖から逃げているという逃避を意味した。

告白します!
まったくもってその通り。
「わざと手に入れない」「手に入れてしまう恐怖から逃げて」、もうここで私は思わず後ろを振り返ってしまった。


「壁の音」について
>ほんとうは醜いもの、汚れたものを書きたがっているのではないかと思う。

これもまったくそう。

>そして<モノ>の正体の醜悪さにたじろぎ、そこから後退りする。

そう。私はそこから歩き出しはしたけれど何ひとつ解決をしなかった。
本当に醜いもの。その醜さの前に在ることそのものが信じられないくらいに。
でも結局動かないではいられなかった。
それが後退りでも…。

>この詩では、その醜い壁に音楽を与えてしまう。そのときの逃避の姿態の美しさ、それが彼女を詩人にしている。

詩は道具にも防具にも、そして武器にもなるんだ。
それにしても、井上さん、やさしい。

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